#StellaBy Marie Schuller

映像作家のマリー・シュルラーが、「#StellaBy」シリーズショットの一環として、日本で個性と女性のパワーを探索します。

 

厳格な調和と整然とした動きから、東京のモノグラム化されたナイトライフのざらついた裏の世界での反逆へと自然に変化していくシーン。ステラ マッカートニーの最新のRTWコレクションとアディダスコレクションをまとった少女が、列から踏み出し、街中で自分の力を解き放つ姿を描くことで、自らのアイデンティティを創造し、集団から抜け出そうとする、大胆な日本女性の新時代を表現した寓話です。

その独特のスタイルにより、ファッション映像制作の中心的な地位を獲得してきたマリーは、問題に立ち向かう、パワフルな映像を通じて、女性らしさという理念を組み立てています。マリーにインタビューし、彼女の作品について詳しく語ってもらうとともに、エネルギッシュな活動と、この新しい「#StellaBy」シリーズでの姿勢にインスピレーションを与えたものが何であるかを聞いてみました。

ファッション、写真、 映像に興味を持つようになったきっかけは何ですか?

最初に興味を持ったのが映像と写真でした。映像学校に通い、後になって当時あまり知られていなかった、ファッションフィルムというメディア用のビデオクリップで実験し始めました。自分たちが何をしているのか、当時はまったく理解できていませんでしたが、そこにこそ、このメディアの美しさがあったのだと思います。映像を利用した他の表現方法と異なり、ファッションには規則や規範というものがなく、映像と合体することによって生まれたこのジャンルはまだ未熟で、創造性や独創性を大いに発揮できるものでした。参考というものもあまりなかったので、独自のアイディアを生み出さなければいけませんでした。私たちが作ったほとんどのものはひどい出来でした。最初の映像作品は、どちらかといえば1970年代のソフトポルノのようだったと思います。その頃からSHOWstudio(ショースタジオ)のニック・ナイトとともに5年間働き、それによってこうしたメディアの可能性を完全に理解し、自身の作品を洗練させることができました。

ストーリーに込められたコンセプトについて詳しく教えてください。日本の文化とアイデンティティからインスピレーションを得ているのでしょうか?

コレクションそのものにインスピレーションを与えた物語を軸にストーリーを組み立てようとしました。インスピレーション源はまさに日本の文化とアイデンティティなのですが、反逆や個性というコンセプトも含んでいます。私が体験した日本は、どちらかというと【物神崇拝/ルビ:フェティシズム】的で歪んだ国というコンセプトに基づいています。というのも、日本には一度しか行ったことがなく、主に人から聞いた話、映画、写真、本などを通して日本の文化を知っているに過ぎないからです。そのため、私が東京に対して抱いているイメージはひどく飽和して、誇張されたものだと思います。私は日本を極端と矛盾の文化として見ています。その街のエネルギーと濃密さをどうにかして捉えようとしました。東京に対する私の視点は部外者によるものですので、本当にその街を代表できる、正当なキャストを起用することが重要でした。だからこそ、ChiharuとAyaのチームが物語において最も重要なフォーカスとなっているのです。2人は演技をするというよりは、ありのままの自分を出し、映像のストーリーを形作る際に重要な役割を果たしてくれました。

日本での撮影はいかがでしたか?

かなりクレイジーでしたね。まず、圧倒的な暑さと湿度に野球バットの一撃を顔面にくらったような印象を受けました。アジアには何度も行ったことがありますが、これほどのものは予想していませんでした。気絶してしまうのではないか、というほどでしたが、女の子たちはまったく気にしていないようでしたね。でも私の生来のドイツ系の遺伝子にはとても手に負えるものではなかったのでしょう。次に素晴らしいと思ったのが、街全体の効率の良さです。あまり紋切り型の言い方はしたくないのですが、すべてが滞りなく機能するのです。2日間にわたって4ヵ所で撮影を行いましたが、まるで時計の針のように正確に事が運びました。東京はドライバーやプロデューサー、メイクや衣装チーム、撮影監督、そしてもちろん、モデルたち自身のように才能に溢れた、プロフェッショナルな人々によって動かされているのです。人々は勤勉で仕事に対して情熱を持ち、これが1番大事なことなのですが、素晴らしい結果を出してくれます。たった20分でリハーサルなしのシーンを12平方メートルのカラオケボックスで撮影するなんて不可能に思えますが、彼らはそれを実現してくれました。

映像は女性の強さと親しみやすさだけでなく、反逆を描いています。これらはすべて、ご自身の作品に繰り返し登場するテーマですか?

もちろん、女性らしさ、あるいはジェンダーによるアイデンティティはファッションのイメージ全体を通して重要な要素です。だからこそ、女性を描写するということは、私の作品にとって無意識のうちにも常に重要な側面となっています。幼い頃に大好きだった女性は『007美しき獣たち』に登場するグレイス・ジョーンズで、女性のキャラクターとしては恐ろしくも感じられる、彼女のアマゾンの彫像のような力強さが好きでした。この点においてAyaの魅力的な激しさはよく合いますね。だからこそ、Ayaが参加してくれたことにとてもワクワクしました。彼女のように強い個性を持った人を撮影するうちに、決まった役割を演じさせたり、その人自身を変えたりせず、ありのままの姿を出してもらうことによって最高の結果が得られる、ということを学びました。まさに東京ではこれを実践しました。まずは頭の中で物語を作ってからAyaとChiharuと共有し、2人はそれぞれの解釈で物語を理解しました。踊りはAya自身が振り付けたものです。

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映像の最初と2つ目の前半では、相反する2つのスタイルの動きが登場します。こうした踊りはどこからインスピレーションを得たのでしょうか?

映像の最初の部分は日本の集団行動からインスピレーションを得ています。私は何年も前からこの動きに魅力を感じていました。集団行動とは、チームの士気や規律を上げるために日本の体育会系の専門学校で課外活動として主に行われるものです。基本的には簡単で、男女のグループが行進するのですが、歩幅や動きは完璧にシンクロし、一切のズレも生じないため、最終的には妙に催眠的で、人間離れしている、とさえ言える効果を生みます。2つ目の映像の踊りはAya自身が振り付けました。踊りによってAyaの個性やキャラクターが滲み出たので、私はほとんど手を加えていません。Ayaにこの映像に主演してほしいと思った理由は、彼女のすることに敬意を持っているからです。だからこそ、私は決して彼女を制限せず、彼女が得意とすることをしてもらいました。私は踊りに関する物語を作っただけで、この物語にChiharuと東京という街が登場するのです。

私たちのコレクションが自然な自信を駆り立ててくれることを願います。洋服が物語に何か影響を与えましたか?

衣類には素晴らしい動きと流動性があったので、もちろん、今回の撮影にはぴったりでした。どれも非常にフレキシブルで着心地がよく、踊り手たちに自由な動きを与えてくれました。赤い色彩はコレクションを通して重要なライトモチーフ(基本思想)となっています。赤は一種のステイトメントであり、それ自体にエネルギーが込められています。赤は変革を起こす色でもあるので、そういった意味において踊り手たちに演劇的ともいえる自信を与えてくれました。踊り手たちは、舞台をものにしてやろう、という覚悟を決めることができたのです。

ファッションフィルムはこれまでどのように進化し、これからはどのような方向に行くと思いますか?

ファッションフィルムは、ジャンル自体が常に再発見され、まだ実験的な時期にあると思います。しかし、いかなる芸術の形がそうであるように、ファッションフィルムという形式は芸術的および文化的変化がもたらすツァイトガイスト(時代精神)を分解し、それに呼応します。現時点で非常に重要なひとつの発展は、生の信ぴょう性を切望する気持ちだと思います。技術の進化やソーシャルメディアにおいて自分たちの完璧な姿を見せたい、という生来の強迫観念は2000年代において、イメージを激しく操作したり、ファッション画像を激しくリタッチするというブームをもたらしました。しかし、現在では毛穴をなくしたり、ウェストを締め付けたり、別の人の頬骨を加えたりすることの簡単さはフォトショップの基本的な操作、リングライトやインスタグラムのフィルターを使う人には、こうしたコツは誰にでもできることを教えてくれます。ファッションやソーシャルメディアの画像はデジタル上の完璧さを表したもので溢れ、それによってリアルなものへのニーズが高まってきたのだと思います。排斥するという動きを推奨する画像製作者の芸術性は完璧さを生みません。大切なのはリアルな感情、繋がり、ありのままの人間性などの繊細さを捉えることです。ファッションフォトグラフィーにおいて、加工されていない画像に対する大きな動きが見られ、ハーレー・ウィアー、タイロン・ルボン、ジェイミー・ホークスワースのようなアーティストたちがこうした動きをリードしています。同じような変化がファッションフィルムにおいても見られます。当然ながら、オーディエンスはより多くを求めるようになり、ただ美しいビジュアルだけでは満足しなくなりました。オーディエンスは理性や感情による反応を求めているのです。なにかを物語るファッションフィルムというものは、こうした変化に対する重要な要素となりました。さらに、コンピューターで作られたツヤツヤの画像から、アナログ技術やフィルムカメラへと向かう大きな動きも見受けられます。いかなる芸術の形がそうであるように、良い作品というものは何がなんでも傑出するものです。ファッションフィルムの将来に関してはより個性、物語、信ぴょう性に対するより繊細なアプローチに対してシフトするだろう、と予想しています。

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